二児と美容師と小説と私

そんなことより私の小説読んでください

保育園生活が終わる話

通算5年通った保育園生活が今日で終わる。

長かったようであっという間だった5年の記憶は、こうしている今にもどんどん薄れていき、新しい記憶によって上書きされていく。

初めての保育園探しは苦労の連続だった。
娘の5才児クラスはどこの保育園でも多少の空きがあるが、息子の0才児クラスは希望の園で100人以上の待ちがあった。現時点で認可外に預けている人が優先になるため、保育園が見つかってから仕事先を探す人には順番が永遠に回ってこない。
だからといって認可外保育園に空きがあるかというと、こちらも近所の園は全て定員オーバー。仕方なく一駅先のマンションの一室を借りた認可外の園に通わせることとなった。
5才の娘も近所の園に空きはなく、息子とは反対方向の一駅先の園に決めた。
朝仕事に行く前に弁当を作り(認可外の園は基本持参の弁当)、二駅分はなれたそれぞれの園に送り届け、仕事に向かう電車に乗った時点でもうすでにヘトヘトだった。
認可外の園が毎日ブログに載せてくれる息子の写真を帰りの電車で確認する。
本当は一緒にいたいのに、経済的に働かなくてはいけない現状をうらみ、知らない場所で苦笑いする息子の写真をブログに見つけ胸が締めつけられた。
その後娘は1度、息子は2度転園し、最後まで通うこととなる近所の園にようやく落ちついた。
仕事を終え、駅を降り、疲れきった重い足で坂を下ると保育園が見え、こどもたちの歌声が聴こえてくる。
「ぼくは きみの こえがすき
はなす わらうこえがすき
いろんなこえが あるなかで
きみのこえがいちばん すき」
その声のなかに自分のこどもがいると思うとホッとして、園の入り口のまえで泣いてしまったこともあった。

二人が同じ近所の認可園に通えるようになってから、今の職場に勤めはじめた。
当時勤めていた店舗の店長は50代未婚女性で、とにかくいじわるだった。
こどもが熱を出して休むと、「予約客や他のスタッフに迷惑がかかるからできるだけ前日に休むかどうか連絡をくれ」と怒られた。
さっきまで元気だったのに、突然熱を出すのがこどもという生き物なのに。
娘が小学校に入ると、学校が二週間前に平日の行事を知らせてきた。
気を使いながら店長に休みの変更をお願いすると、「決めた休みの日に用事は全て済ませてください」とキレられた。
いじわるな店長のせいでついには胃潰瘍になった。娘は6才、息子は2才だった。
子育てしながら働くのは、本当にしんどい。
ただでさえしんどいのに、いじわるな店長のせいで余計にしんどかった。
それから私には幼い子を育てるうえでもうひとつしんどい事情があった。
それは私自身の過去のせいである。
幼少期、家庭環境が最悪だった。
ろくに食事も与えてもらえず、昼も夜も放置され、時々殴られたりもした。
今なら確実に通報され、私は保護されていただろう。
そのような記憶が、子を通して常によみがえった。
自分がこれくらい幼かったとき、あんなことをされた、あるいはしてもらえなかった。
こどもという存在はこんなにも可愛い。なのに母はなぜあんな仕打ちをしたのだろう、そうか可愛くなかったからか。邪魔だったからか。
そんなことを考えたくなくても考えた。子を育てながら、子の成長をなぞるように自分の幼少期をふりかえりつらい気持ちになった。
疲れもあったと思う。ホルモンのバランスの仕業かもしれない。けれど私は、大切にこどもを思えば思うほど、自分が大切に育ててもらえなかったことをいやというほど思い知ったのだ。

先日息子の卒園式を終えた。
頼もしく成長した息子が一生懸命こらえていた涙が、歌の途中であふれてしまう姿をみて、私も泣いてしまった。
娘も泣き、夫も泣いた。
家族みんなで感動した。
ああなんてしあわせなんだろう。心の底から思った。
こどもたちが大好きだ。子のためなら命も簡単に捧げられる。こどもたちは私にとって宝だ。
こどもを産んでから時々顔を出しては傷口の場所を教えてきた私のなかの悲しいこどもは、ここのところ現れなくなった。
悲しい記憶をゆうに塗り替えるほどの娘と息子の可愛さが、私を癒してくれたのだろう。
私はようやく、私のなかの悲しいこどもとさよならできそうだ。

子育てはまだまだつづく。
保育園生活を終えたとはいえ、ステージ1のラスボスを倒したにすぎない。
だけど今はひとまず、「お疲れさま、ここまで頑張ったね」と自分を誉めてあげたいと思う。


f:id:kaede_hutaba:20190329162417j:image

保育園の桜

 

もうひとりのわたし

 

私がはじめてつくったブログのタイトルは『頬のたるんだ犬と暮らす』だった。
今から10年以上前。20代の終わりで、夫がまだ同棲中の彼氏だった頃。

先日、大滝瓶太(まちゃひこ)さんという方のnoteを拝読して、心を動かされた。

note.mu

 ブログはこちら

 https://www.waka-macha.com/entry/2018/08/02/031358

 

わかる、わかると思いながら読んだ。そして寂しいような懐かしいような気持ちになって思い出したことがあったので、それを書こうと思う。

 

20代の終わり頃、私は首の故障で長く続けていた美容師を辞めた。
治療に通えば美容師を続けることも出来たが、美容師という仕事自体に嫌気がさしていたので違う仕事についた。
新しく始めた無線通信機器のサポートセンターでの仕事では、出勤日数や勤務時間をセーブしたので、美容師時代には得られなかった自由な時間が増えた。
仕事を終え、夕飯の下ごしらえをしても彼が帰るまでにたっぷり時間がある。
買いたてのパソコンでネットサーフィンしていたら、あるブログサイトにたどり着いた。
なぜブログを始めようと思ったのかは全く思い出せない。自分の心のうちをぶちまけられる場所が欲しかったのかもしれない。
何をテーマにブログを書くか考えたとき、人生で初めて飼ったいとおしい愛犬のこと以外に思いつかなかった。
すでに『楓双葉』という名前で小説を文学賞に何作か送っていたので、ブログネームは迷わず『ふたば』としてスタートさせた。もちろん本名ではない。
もうひとりのわたしがネット上で生まれた瞬間である。

『頬のたるんだ犬と暮らす』というタイトル通り、頬のたるんだまん丸おめめの可愛い愛犬のおかげで、閲覧者は日に日に増え、ランキング20位以内に入るようになった。
おそらく同年代か少し上の女性たちからコメントをもらい、お礼にみんなのブログをみて回った。いろんな人が饒舌に日々を語り発信することは今では当たり前になっているが、その当時の私にとってそれはとても刺激的な読み物として楽しめたのを覚えている。

将来おでん屋を営むのが夢のうさこさん、一人娘の育児を温かい文章で綴るSさん、B級映画の感想をパンチの効いた独特の表現で書くT男さん。
私にとってネットで初めてできた友達のような人たち。
愛犬の成長を一緒に喜び、美容師時代の失敗談を一緒に嘆き、幼少期の悲しい思い出に涙してくれる。
顔見知りの人たちよりも心のうちを赤裸々に語れる場所となったブログで、ある日「小説家になりたい」のだと私は告白した。
するといつもコメントをくれる人たちが「ネットで公開するといい」とアドバイスをくれた。
けして押し付けがましくなく、私を思ってのことだと伝わる言い方だった。
けれどその当時の私はあくまでも紙の小説家をめざしており、不特定多数の人が見るネットで小説を公開するなんて、大切な宝物を海に捨てるようなものだと思っていた。
「ネットで公開するのは抵抗がある」と素直にブログに書くと、みんなその気持ちを受け止めた上で私に言葉をくれた。
「ふたばさんの文章は体重が乗っているのできっと小説も面白いと思う」
「ふたばさんの小説を読めないのは残念だけど応援している」
「もし叶うなら読みたいけどふたばさんの気持ちもわかる」
そんな風に言われて嬉しかった。
そのあと私はFC2小説というサイトに出会い、ブログの人たちには「ネットで公開しない」と言ったのにも関わらず、気が変わり小説を投稿した。
ブログで公開しなかったのは、仲良くなったみんなに「面白くない」と思われるのが怖かったのだ。
FC2小説では、投稿した小説にコメントがついた。星をいくつもつけた素敵なレビューをもらい、私は完全に浮かれて、FC2小説というサイトにどっぷりはまってしまった。(FC2小説での出来事は長くなるのでまた今度)
そして私はそのブログをやめ、お別れを言うこともなく削除してしまった。小説サイトでの活動はしばらく続いたが、二人目の出産後、復職の準備で精神的な余裕がなくなりFC2小説はおろかネットからも4年ほど離れてしまう。

下の子のオムツがはずれ、子育てに一区切りついたところで私はネットでの活動を再開した。

 

今はTwitterとnoteをよく見ている。
FC2小説で出会った小説仲間の人たちについては、今ごろどうしているのかな…と思い出すことはしょっちゅうあるけど、『頬のたるんだ犬と暮らす』で知り合ったブログ仲間のことは今回、大滝瓶太(まちゃひこ)さんのブログを読んで久しぶりに思い出した。

 

『頬のたるんだ犬と暮らす』と検索しても、もうブログは出てこない。
そして頬のたるんだ愛犬も、二年前に亡くなってしまった。
もうひとりのわたしとしてネットに生まれた楓双葉という人物は、ダラダラとまたネットで小説を公開しはじめた。
いつか誰かが、「昔ネットで読んだ、楓双葉って人の小説をまた読みたい」とググってくれることを信じて、楓双葉という名前を使い続けようと思う。
noteやなんかでプロフィールに書いてる「私の小説がふと思い出されることがあれば本望」ってやつ。
カッコつけてるけどあれが私のモットー。
もしネット上ではぐれたら、いつか思い出してほしい。もうひとりのわたし、『楓双葉』が書いてる小説のこと。

 

 

 

note.m

 

楓 双葉 (@kaede_hutaba)さんをチェックしよう https://twitter.com/kaede_hutaba?s=09

4月6日

生まれて初めて犬を飼った。

白と黒のタキシードを着たような模様のボストンテリア

ペットショップで目が合って、打たれたようにその子のことが忘れられなくなった。それから何度もペットショップにその子が売れてしまっていないか確認しにいき、二週間後に連れて帰った。

なんとかなるだろうと簡単に考えていたが、犬を飼うのは想像以上に大変だった。トイレの場所はなかなか覚えてくれないし、なんでも噛み砕いて色んなものをボロボロにされて困り果てた。
悩んだ私は犬の育児日記をつけた。トイレを覚えさせるには、イタズラをやめさせるには、無駄吠えをやめさせるには。試したことと結果と改善策をノートに書き連ね、どうすれば言うことを聞かせられるか毎日毎日考えた。ほんとに勝手だけど、犬なんか飼わなきゃよかった、と何度も思った。

そんなある日、愛犬と目が合った。スワレと指示するとおしりをぺたんと床につけ、私の目をじっと見た。意思疎通を図れたと実感した瞬間だった。可愛い。なんて可愛いんだ。
あなたも不安だったんだね、何を怒られているのかわからなくて、どうすれば良いのかわからなくて、怖かったよね。やっと優しい気持ちになれた。
愛犬と心が通じて本当に嬉しかった。

私はその後二人の子供を生むことになるが、愛犬を飼い始めた時の葛藤がなければ、子育てはもっと大変に感じられたのではないかと思う。もちろん動物と人間は違うのだけど、思い通りにならない生き物という点では同じだ。
愛犬を育てる時にしたように、子供たちが新生児の時も私はノートに書いた。愛犬の時苦労した分、新生児を育てるとき少し楽に構えられるようになった気がする。

愛犬は子供であり、友達であり、恋人であり、親のようでもあった。
まだ彼氏だった夫と別れようか悩んでいた時も、つわりでずっと家から出られず苦しかった時も、一人目を育てていた心細い時期も、二人目を育てていた慌ただしい日々も、ずっと愛犬が支えてくれた。愛犬にそのつもりがなくても、そこにいるだけで充分助けられたのだ。
子供たちは二人とも泣いている時に愛犬が来てくれることで泣き止んだ。私が台所に立っていても子供のそばに愛犬がいることで誰かの気配を感じて安心して寝てくれた。
愛犬が、私の子育てを楽にしてくれたのだ。

 

二年前の今日、愛犬は亡くなった。12歳だった。
呆けたようにテーブルの周りをくるくる回りだしてから二週間で亡くなった。あっという間だった。火葬してくれたペット葬儀屋のおじさんが、残った骨の黒いシミを見て「脳梗塞だったかも知れないね」と言った。獣医の見解とは違ったので、私のなかでもっときちんと調べていれば、もっときちんと見てやっていれば、まだ生きれたかも知れないのにと後悔が押し寄せた。でも死んでから思ったって、どうにもならない。

あんなに泣いたのは初めてかもしれない。

愛犬を火葬してもらう時、子供の前でワーワー泣いた。葬儀が終わり、家に帰ってもずっと泣いた。次の日仕事にいき職場の人に愛犬が亡くなったことを話しながら泣いてしまった。仕事中突然込み上げて走ってトイレにいき個室で声を押し殺して泣いた。家に帰り玄関を開けたとたん座り込んで泣いた。当時三歳だった息子が「ママ、さみしいの?」と言って頭を撫でてくれた。

今でも思い出すと涙が出る。“死んだから悲しい“ というよりも、“会いたい“の涙。
玄関を開けるとテケテケと足音が聴こえて、ブブ、ブブ、と鼻を鳴らして平べったいおでこを擦り付けてくる愛犬を撫でたい。脇腹をサワサワしながら匂いを嗅ぎたい。
愛しいあの子。

 

二年前の今日は桜が満開だった。今年は少し早かったのかもう新緑の枝の方が多い。
寂しいな。会いたいな。大好きなあの子に。

 


f:id:kaede_hutaba:20180406115652j:image

 

 

楓双葉の小説はこちらで読めます

note

 

エブリスタ

 

シャンプーされる時のあなたは処女であるべきだ

あなたの目の前にスイカがある。重さは5㎏。泥がびっしりとこびりついている。拭いたり水を流しかけたりするだけで取れるような汚れではない。

 

目の前にシャワーがある。蛇口から伸びたホースの先についているシャワーヘッドは固定する壁がないので床で転がっている。

あなたは仕方なくシャワーを左手で持つ。何故ならそのスイカを洗うのが仕事だからである。シャワーでお湯をスイカにかけてみる。泥はぎっしりとこびりついている。スポンジやタワシのような道具もないので素手でこするしかない。
左手のシャワーで水をかけ右手の指の腹を使ってあなたはスイカをこする。
いいぞいいぞ、汚れが取れてきた。

その時である。

スイカが動き始める。あなたが洗おうと思っているのとは違う面をこちらへ見せてくる。こっちを洗おうとしたらあっちを、あっちを洗おうとしたらこっちをという具合に向きが変わる。イラついたあなたはスイカの向きを直す。また動く。直す。するとスイカが浮き始める。浮いてくるくる回りだす。「私がこうした方が、あなた洗いやすいでしょう?」と言わんばかりに。

その時あなたは思うだろう。
「動くなよ!洗いにくいだろうがっ!」と。

 

気がつくと今度はあなたはベッドの上にいる。
あなたは男で相手の女は四つん這いで尻をこちらへ向けている。そう、あなたたちは今から後背位でナニをしようとしている。ナニをすることで女から報酬がもらえるからだ。
あなたの凸を女の凹に入れ、順調に出し入れしていたら突然女が動き出す。より快感を得るためにあなたのインに対してより深くイン!あなたのアウトに対して更なるアウト!を仕掛けてくる。
イン!アウト!イン!アウト!凹!凸!凹!凸!しかし繰り返していううちに二人のリズムは狂い出す。
インに対してアウト、アウトに対してイン、凹に凹!凸に凸!アン!アン!アアーン!じれったい!!!!

リズムが狂ってしまったことであなたの凸は凹からポロリと抜け、うっかり違う穴に入りそうになったりする。
そこであなたは思うだろう。
「俺が突くからお前はじっとしてろ!ヤリにくいんだ!」と。

 

……。

 

何の話をしているかというと、美容師がシャンプーの時によく思うことである。
あなたはシャンプーの時、スイカや女のように動かなくて良い。頭が重いから申し訳ない、洗いやすいよう協力したい、などと思わなくて良い。
動かない重い頭前提で美容師はシャンプー技術を習得する。客が勝手に動くのは想定外である。また別の技術が必要となるのだ。だからあなたは何も考えなくて良い。
洗ってほしいところが見えるように動くことで逆に洗いにくくなり、重い頭を軽くしてやろうと力を入れることで首からお湯が背中へ抜けて服が濡れてしまったりする。
そこで美容師はやりにくさのあまり言うだろう。「力を抜いててください」と。
これはまさに処女を喪失する瞬間に男が女にかけた言葉ランキング一位である(楓双葉調べ)。
まぁ私くらいのベテランになると、声かけなどせずに無言でグイっと直す。「余計なことをせんでよろし」という圧力をかける。テレパシーを送るとも言う。

 

美容室でのシャンプーは気持ちよくあるべきだ。
あらゆるしがらみから解放され、無防備に頭部を他人に預け、汚れを洗い落としてもらう。
より快感を得るために、シャンプーの時客は、処女であるべきなのだ。

 

あなたはいずれまた美容室へ行くだろう。
そして美容師にシャンプーされる。
シャンプー台がゆっくりと倒れ、顔にガーゼが乗せられる時、あなたは生まれて初めての口づけの時のようにそっと目を閉じれば良い。そして乾いた髪を美容師がビシャビシャに濡らし始めた時、怯える必要はない。あなたは処女のように大人しく横たわっていれば良い。マグロis Best. マグロis Beautiful.

 

 

 

 

 

楓双葉の小説はこちらで読めます

note

カクヨム

エブリスタ

 

子育て中に出会う7人の敵とそれぞれの育児書で戦う話

先日Twitterで、目を離した隙に見ず知らずの老人が乳幼児の我が子に何かを食べさせて吐き戻したというツイートが回ってきた。
あるある。わかる。怖いよね。そして思い出した。

息子が生後5~6ヶ月で、10倍粥をチビリチビリと舐めるように食べさせていた離乳食の初期も初期の頃、実母が会いに来た。
テーブルで、息子と母と私の三人で(娘は幼稚園に行っていた)お茶を飲み、母が持ってきたケーキを二人で食べていた。私がキッチンに何かを取りに行って戻ると、今まさに母が息子にケーキを食べさせようとしているところだった。息子は口を開け嬉しそうに手をバタバタしており、歯周病持ちの母が使ったフォークに乗せたモンブランの欠片がもう少しで息子の口に入るところだった。「何してんの!やめてや!」私は怒鳴ってやめさせた。「いいやんちょっとくらい。神経質やなぁ」と母は能天気に言った。
歯も生えていない口に、食べたこともない固形物を、虫歯菌たっぷりの母が使用した尖ったフォークで食べさせようとしたことが、なぜ駄目なのか説明したけど無駄だった。「私が噛み砕いてぐちゃぐちゃにしたものをあんたがこれくらいの赤ちゃんの頃には食べさせた」などと言うのである。

 

『男は敷居を跨げば7人の敵がいる』ということわざがあるが、子育てをしている親にも七人の敵がいると私は思う。七人どころじゃないかもしれない。しかも私の場合敷居を跨がなくても部屋の中にもいたのだ。

件のツイートにあった勝手にお菓子をあげようとした老人も、私の実母も、悪意はないだろう。腹を壊してやろう、アレルギーを起こさせてやろうなんてこれっぽっちも思っていない。母らにしてみれば完全な善意なのだ。アレルギーで死ぬかもしれない可能性など考えない。目の前に子がいて美味しいものがある。食べさせたい。それだけのこと。

子育てを経験した年配の人に余計なことをされることはしばしばある。
人見知りが激しかった娘が二歳くらいのとき、二人でスーパーに行った。小さな子供用のかごを持つ娘のところに、突然体格の良い老婆が近づいてきて「手伝ってんの?えらいねぇ」と言った。ヤバイ、と私は思った。私の心配した通り娘は老婆に「キライ!」と言った。そしてプイとそっぽを向いた。すると老婆が逆ギレし、「いやぁー、そんなこと言うん!?そんなんやったら幼稚園行かれへんで!」と娘に怒鳴るように言い、そして私に視線を移し「あいさつくらい教えとかな、後で困るでお母さん」と脅してきた。「すみません」ととっさに謝りその場を後にしたけれど、しばらくしてからムカムカしてきた。うるせークソババァ!貴様が喋りかけるからだろうが!キライなもんはキライなんじゃドアホ!!しかし荒ぶっても後の祭り。娘は今まで以上に他人を怖がるようになり、私はしばらくそのスーパーに行くのも嫌になった。

実母や義母、小児科や耳鼻科の先生や園の先生、あるいは見ず知らずのスーパーで出会った老婆が、それぞれの経験と知識を元に作成した自分だけの育児書を振りかざしてくる。
ババア(時にはジジイ)らの育児書は分厚くて古い。私の育児書は新しくペラペラで薄い。
太刀打ちできずに負かされることもある。何が正解かなんて子供が100人いたら100通りの答えがあるのに、ババアらは自分の育児書が一番正しいと信じこんでいるからタチが悪い。
例えば抱きぐせ。昔は抱きぐせがついてしまうから、ずっと抱っこしているのは良くないとされていた。しかし今は抱きぐせは根拠がなく、むしろ抱けるだけ抱いてやる方が赤ちゃんのために良いとされている。どの本を見てもそう書いてあるし産院でもそのように教えられる。それなのに、である。「そんなに抱いてたら抱きぐせがつくんちゃう」と言うのである。ババアらは。今の育児書には抱けるだけ抱けと書いてある、産院でも言われたと説明しても「でも私の時代は……」と言い出す。もう無視だ。そんなのアドバイスでもなんでもない。ただの意地悪である。いくらババアらの育児書が分厚く年季が入っているとしても、自分が自分の子供のためだけに綴る心の育児書には自信を持ったほうがいい。もちろん耳を傾けるべきアドバイスも時にはあるかもしれないが、育てるのは自分自身であり所詮他人は傍観者なのだ。


でも世間はそんなババアばかりではない。
まさにその娘の人見知りが激しい時期に、マンションの清掃のおばさんが新しくなった。初めてあいさつした時、仏頂面の娘を紹介すると娘は例のごとくボソッと「キライ」と言う。「今人見知りが激しくて、誰に会ってもこんな感じなんです。すみません」と私が言うとおばさんが「あらいいやないの、用心深くて。人見知りする子は将来頭良くなるんよ。キライでいいやんね、でもおばちゃんはスキよ」と言ったのだ。泣けた。いや実際泣いたかもしれない。
それからも仏頂面を崩さない娘におばさんは毎朝明るくあいさつしてくれた。娘が返事してもしなくても、「今日の髪止め可愛いねぇ」とか「どっか行くの?えらいおしゃれして」と話しかけてくれた。本当に娘を可愛いと思ってくれていることが伝わったからか、娘はおばさんに心を開き、聞かれてもいないのに色々なことをペラペラと話すようになった。そしてその頃には娘の人見知りは治り、あいさつを自分からするようになり、初対面の人に「キライ!」と言うことはもうなかった。おばさんが退職されるときはお互いにプレゼントを渡し合うまでに親しくなった。おばさんには本当に感謝している。

 

私はまだまだ子育ての真っ最中である。
ペラペラだった私の育児書も、少しはページも増えてきた。
娘が会う人会う人に「キライ」と言うことがしんどくて出掛けるのが嫌になった時期もあったし、「キライって娘ちゃんが誰かに言う度に、ママも娘ちゃんのことキライになるよ」と叱って泣かせたことは何度もある。あんなに悩んでいたことも過ぎればほんの一瞬の出来事だった。
少しずつ子供も私も成長し、私の中の育児書が分厚くなったとき、どうせなら若いお母さんを困らせるのではなく助けることに役立てたい。
私が私のために綴る世界にひとつだけの育児書は、誰かを倒すためにあるのではない。

 

そういえば娘が生まれてから書き始めたガチの育児日記があった。(最近はもう書いていない)
そこにスーパーで出会ったクソババアのことが書かれてないかなと久しぶりに読み返した。
クソババアのことは書いてなかった。娘と二人でベランダになびく洗濯物を見て幸せを噛み締めていた頃を思い出した。
とりあえずここまでよく頑張ったなぁとちょっと自分を褒めたくなる。

 

〈一人目の子(娘)生後5ヶ月のある日の育児日記〉
f:id:kaede_hutaba:20180310082538j:image

 

 

 

楓双葉の小説はこちらで読めます

note

カクヨム

エブリスタ

 

 

かゆいところはございませんか?について真面目に考えた

 

美容師を長年続けている中で、あることを疑問に思った時期がある。
「『かゆいところはございませんか?』は本当に聞く必要があるのか?」と。

 

その頃の私は美容師として脂が乗っていた。ファンキーだった。
ちょうどアフロに近いパーマのでかい頭で、帰りの電車を降りたら髪の中でカナブンが死んでいた、そう、あの頃である。
そして尖っていたあの頃の私は「かゆいところなんか聞く必要ないんじゃね?」という結論を導き出す。
で、早速試した。

シャンプー台で、シャンプークロスをしている時に「何もお伺いしませんので気持ち悪いところがありましたら遠慮なくおっしゃって下さい」と客に伝えた。
遠慮なく気持ち悪いところを表明する客など一人もいなかった。当たり前である。
聞かれてもいないのに気持ち悪いところを言うなんて、ヤカラである。
私は違和感を覚えた。なんか変。リズムが狂う。
シャンプーを終わるタイミングがつかめない。人によってシャンプーの時間が変わってしまう。聞きたい。私はやっぱり聞きたいのだ。かゆいところを!

例えば、交わった時、達する前に「イッてもいい?」「イくよ」などと確認する男を知らないか?
私は知っている。確認する男を何人か見てきた。
それと同じである。それはつまりおしまいのサイン。
シャンプーはここで終わりますよという合図なのだ。儚い。諸行無常の儚さである。
「イッてもいい?」と訊く男に「ダメって言ってもどうせイッちゃうんでしょバーカ」などと言う女は野暮である。では大海原のような心で「よかろう」と返すのが正解だろうか。


「イッていい?」の正しい答えは「いいよ」だと思われがちだが私の思う正解は違う。男は返事など必要としていない(多分)。「イッていい?」と言いながら自らを絶頂へ導いているだけなのだ。返事など要らぬ。要らぬのだ。むしろ返事などしてはならぬ。なぜなら「構いませんよ、イッてしまって結構です」と答えるなんて、全然満足していない証拠じゃないか!答えられないほどの絶頂を女に与えることこそが、それこそが!

 

とにかく女は「イッていい?」と聞かれたらうなずくにとどめるのが良い。

さて、ここで勘の良い方はそろそろお気付きだろう。
美容師の「かゆいところはございませんか?」に答えなど要らぬということを。
「かゆいところはございませんか?」への返答がない場合、ほぼ100%の確率で美容師はお流しに移る。もう一度聞き直す美容師は性格が悪いか無神経のどちらかなので二度と行かなくてよい。
返答がないということは、気持ちよくて寝てる、そもそも耳が悪い、かゆいところがない、かゆいところがあるけどまぁいいや、のいずれかである。
つまり、返答がない=かゆいところはない ということになる。
しかしそこは人と人。やっぱり何か反応はほしい。「はーい」でも「ぬーん」でもいい。何か音を出してもらえれば嬉しい。うなずくのは顔のガーゼがズレるのでやめた方がいい。

 

「かゆいところ聞かれるのがめんどくさいんだよね~」という意見はTwitterでもよく見かける。聞く方だってめんどくさい。じゃあなぜ聞くのか。それはつまりルーティンだからだ。

イチローがバッターボックスで肩先をつまむように、五郎丸がキックの前にカンチョーポーズをするように(これはもうやめたらしい)、羽生結弦が演技前に武士の「士」の字を胸の前で斬るように、美容師は「かゆいところはございませんか」を聞かねばならない。聞いてしまう。呼吸をするように自然に、無意識に聞いてしまう。なぜならそれは、ルーティンだからなのである。

「かゆいところはございませんか?」は、ルーティンなのだ!(大事なとこだから2回言う)


試しに美容師に「何にも聞かないで下さい」と頼んでみるといい。美容師は快くあなたのリクエストを受け入れるだろう。だって本当は聞くの面倒くさいんだもん。
だがしかし、である。
恐ろしいことに、10人中1、2人はついうっかり言ってしまうのだ。
「かゆいところはございませんか?」と……
聞かなくていいと言われているにもかかわらず……
これは呪い……ホラー……いや違う…………

 

ルーティンだからだ!

ルーティンだからつい言っちゃうのだ。
ルーティンだから体に染み付いてる。腕の動きと口と声帯の動きがリンクしてるから言っちゃう!!
だってだって!なぜならそれは!!ルーティンだから!!!(ルーティンって言いたいだけ説)

何かのテレビで実験しているのを観たことがある。
スポーツ選手にルーティンをやめさせるとパフォーマンス力が下がるのか。
その実験の結果でルーティンをやめさせると力が十分に発揮されないことが科学的に立証されていた。
EXILEパフォーマーたちに歌を口ずさみながら踊るのをやめろと言ったらどうなるだろう。三代目J Soul Brothersでもいい。マイクを持たないパフォーマーたちに、歌わずに踊ることに徹しろと言ったらきっと、パフォーマンスの質は下がるに違いない。そうだ、そうに決まってる。

とにかく、美容師に思う存分「かゆいところはございませんか?」と言わせてほしい。
そうすることで美容師は最高のパフォーマンスをするだろう。そしてあなたはいつか、最高のシャンプーに出会う。「んはぁ!こんなシャンプー初めてぇ!」と。

美容師から「かゆいところはございませんか?」を奪うのは、鳥の羽をもぎ取るのと同じなのである。羽ばたかせてほしい。大きな声で、聞かせてほしい。美容師に、言わせてほしい!


「かゆいところはぁ!ございませんかぁぁ?!!!」

 

 

 

楓双葉の小説はこちらで読めます

note

カクヨム

エブリスタ

初めて書いた小説の話

 

 

ことわざの本ばかり読んでいた。子供の頃の話である。

家に″四コマ漫画で読むことわざ辞典″みたいな本(正確なタイトルは忘れた)が上下巻あり、その二冊を愛読書としていた小学生の私は友達に「ふたばちゃん、ことわざばっかり使うなぁ」と失笑されて初めて、自分が無意識に会話のなかにことわざをぶち込んでいることに気付いた。
「そんなん『ミイラ取りがミイラになる』みたいやん」
「『石の上にも3年』ってゆうしなぁ」
「いやいや、『背に腹は変えられぬ』ってゆうやん、そこはしゃあないんちゃう」といった具合である。私の小説好きの元を辿ると、そこには物語ではなくことわざがあった。
私の小説の起源である。

小学五年生のとき、体育館の裏で骨を見つけた。恐らく仔猫かイタチかネズミの死骸だろう。
その事で友達と随分興奮した。
「殺人事件かもしらへん」「警察に知らせたほうがええんちゃう」「先生には?」「ちょっと待って、これはうちらの秘密にしとけへん?」
で結局どうなったかは記憶から剥がれ落ちてしまったが、そのあとすぐに私は家にあったワープロで物語を書こうと思った。
タイトルは『セーラー探偵団』。
小学生の女の子四人組が体育館の裏で骨を見つけ、そこから事件に巻き込まれていく……というような内容。
しかしはじめの一ページを書いただけで終わった。完結しなかった。
そのあと多感な思春期には詩をアホみたいにいっぱい書いた。
大好きな詩人の銀色夏生さんが、デビューのきっかけは出版社に100編の詩を送ったことだったと知り私も100編の詩を出版社に送りつけた。80万で本にしてやると返答が来た。
未成年の私に出せるのはせいぜい8千円だった。諦めた。
美容師になってからは忙しくて物語は書かなかった。その代わり仕事のマニュアルや新人教育のスケジュールやヘアセット講習会用のパンフレットなどを作成していた。
二十代後半に体を壊して仕事をセーブした。その頃またノートに手書きで小説を書きなぐるようになる。けれどどれも完結しなかった。こんな話を書きたい。とプロットを立てても思ったように物語が進まない。ただの箇条書きになる。集中が切れてどうでもよくなってやめる。そんなことを繰り返した。
そして私が生まれて初めて小説を完成させたのが『語らずとも』である。

漫才師を父に持つ娘のお話

FC2小説『語らずとも』

 

自転車に乗るのと同じで、一度物語を完結させることが出来ると、今までなんで完結出来なかったんだろうと不思議に思えるくらい次々に小説を完結させた。長い小説を書き新人文学賞に次々に送ってみた(全部全然ダメだったけど)。
首と腰の故障を治療しながらだましだまし美容師を続けていたが30歳で完全に心が折れた。しかし中卒である。簡単に美容師以外に再就職は出来ない。そこでPCの職業訓練を受けた。某通信器機のサポートセンター受信業務に就くことができた。美容師とは違い夜は早く家に帰れる。暇だった。
そんな時、捨てるような気持ちで小説をFC2小説に載せた。新人文学賞にはなに一つ引っ掛からない。こんなもの書いててなんの意味があるんだろう。誰にも読まれずゴミになるよりネットに捨てたほうがマシ。そんな気持ちで投稿した。長い小説は自分で読み返すのも嫌になるくらいくだらなかった。載せるのも手間がかかる。短い短編をいくつか投稿して、投稿したこともしばらく忘れていた。そして久しぶりに見ると、評価がついていた。感想ももらえていた。嬉しかった。他の人の作品にも感想を書きFC2小説ユーザーと交流を深めた。仲間ができたようで楽しかった。

それから専業主婦だった私は仕事を再開することになり生活が激変した。
前回の記事 でも書いたように結果的に4年間ネットから離れることになる。望んでいない復職、べらぼうな保育費がかかる認可外保育から認可保育園に入れられるまで三度の転園、理解のない上司からの嫌味で胃潰瘍を発症、キツかった。SNSで誰かとコミュニケーションを図ろうという余裕がなかったのだ。

 

そして私は去年(2017)の正月休みにTwitterを再開した。あーなんか誰かが好き勝手に書いた文章が読みたいなぁ~……そうだ!Twitter!みたいな感じで。
楓双葉というアカウントを4年も放置していたのに「あけましておめでとう(4年ぶり)」と呟いたら数人がリアクションしてくれた。お陰で私は自然と楓双葉である自分を取り戻したのである。
秋には4年ぶりに書いた小説 『らぶりつください』をnoteとカクヨムに投稿した。

もういなくなってしまったが沢山フォロワーがいらっしゃる方をはじめフォロワーの方々に褒めて拡散して頂けたお陰で良い反応を沢山もらえた。嬉しかった。

小説を書くのはやっぱり楽しい。
もう何か目標を立てなければ書く意味が無いなどと難しく考えることも無くなった。
書いている間はグッと集中して物語にのめり込む。主人公に感情移入し過ぎて泣きながら書くこともある。エロい場面を書くときはハァハァする。イッてるしキてる。そしていったん離れて心を落ち着けてから推敲する。完結したときの気持ち良さは何にも変えがたい。とにかくすっきりするのだ。これはもう変態行為である。

金にならないことは全てゴミだと思っていた時期が何年もあった。
その考え方のせいでお客さんを傷つけたこともある。
ババアになった今思うのは、人生を豊かにするのは金にならないことばかりだ。
好きだからやる。好きだから書く。その延長線上でもしかしたら金になることもあるのかもしれない。でも今私が小説を書くのは人生を豊かにするため。
体育館の裏で骨を見つけ、そこから何か物語が始まりそうだと感じた子供の頃の私が物語を書きたいと思ったような純粋さで今私は小説を書いている。
できればひと月に一作、無理だったらふた月に一作くらいのゆるい締め切りを自分で勝手に設けた。ネット(横書きスクロール)で読んでくれる人のために書いているので字下げはしない。集中力が途切れない文字数に納める。紙の小説に憧れて、紙の小説になること前提で書かれた小説よりは読みやすいはずだ。そこだけは自信がある。10年書いていても相変わらず拙い文章ではあるが、TwitterのTLの流れが滞っている時や、クソリプをくらって嫌気がさしている時、あるいは「あー、誰かの書いた文章を、ちょっとだけ読みたいなー(鼻ほじほじ)」と思った時にどうでしょう。楓双葉の小説を、読んでみるってのは。チラ

 

 

楓双葉の小説はこちらで読めます

note

カクヨム

エブリスタ