二児と美容師と小説と私

そんなことより私の小説読んでください

4月6日

生まれて初めて犬を飼った。

白と黒のタキシードを着たような模様のボストンテリア

ペットショップで目が合って、打たれたようにその子のことが忘れられなくなった。それから何度もペットショップにその子が売れてしまっていないか確認しにいき、二週間後に連れて帰った。

なんとかなるだろうと簡単に考えていたが、犬を飼うのは想像以上に大変だった。トイレの場所はなかなか覚えてくれないし、なんでも噛み砕いて色んなものをボロボロにされて困り果てた。
悩んだ私は犬の育児日記をつけた。トイレを覚えさせるには、イタズラをやめさせるには、無駄吠えをやめさせるには。試したことと結果と改善策をノートに書き連ね、どうすれば言うことを聞かせられるか毎日毎日考えた。ほんとに勝手だけど、犬なんか飼わなきゃよかった、と何度も思った。

そんなある日、愛犬と目が合った。スワレと指示するとおしりをぺたんと床につけ、私の目をじっと見た。意思疎通を図れたと実感した瞬間だった。可愛い。なんて可愛いんだ。
あなたも不安だったんだね、何を怒られているのかわからなくて、どうすれば良いのかわからなくて、怖かったよね。やっと優しい気持ちになれた。
愛犬と心が通じて本当に嬉しかった。

私はその後二人の子供を生むことになるが、愛犬を飼い始めた時の葛藤がなければ、子育てはもっと大変に感じられたのではないかと思う。もちろん動物と人間は違うのだけど、思い通りにならない生き物という点では同じだ。
愛犬を育てる時にしたように、子供たちが新生児の時も私はノートに書いた。愛犬の時苦労した分、新生児を育てるとき少し楽に構えられるようになった気がする。

愛犬は子供であり、友達であり、恋人であり、親のようでもあった。
まだ彼氏だった夫と別れようか悩んでいた時も、つわりでずっと家から出られず苦しかった時も、一人目を育てていた心細い時期も、二人目を育てていた慌ただしい日々も、ずっと愛犬が支えてくれた。愛犬にそのつもりがなくても、そこにいるだけで充分助けられたのだ。
子供たちは二人とも泣いている時に愛犬が来てくれることで泣き止んだ。私が台所に立っていても子供のそばに愛犬がいることで誰かの気配を感じて安心して寝てくれた。
愛犬が、私の子育てを楽にしてくれたのだ。

 

二年前の今日、愛犬は亡くなった。12歳だった。
呆けたようにテーブルの周りをくるくる回りだしてから二週間で亡くなった。あっという間だった。火葬してくれたペット葬儀屋のおじさんが、残った骨の黒いシミを見て「脳梗塞だったかも知れないね」と言った。獣医の見解とは違ったので、私のなかでもっときちんと調べていれば、もっときちんと見てやっていれば、まだ生きれたかも知れないのにと後悔が押し寄せた。でも死んでから思ったって、どうにもならない。

あんなに泣いたのは初めてかもしれない。

愛犬を火葬してもらう時、子供の前でワーワー泣いた。葬儀が終わり、家に帰ってもずっと泣いた。次の日仕事にいき職場の人に愛犬が亡くなったことを話しながら泣いてしまった。仕事中突然込み上げて走ってトイレにいき個室で声を押し殺して泣いた。家に帰り玄関を開けたとたん座り込んで泣いた。当時三歳だった息子が「ママ、さみしいの?」と言って頭を撫でてくれた。

今でも思い出すと涙が出る。“死んだから悲しい“ というよりも、“会いたい“の涙。
玄関を開けるとテケテケと足音が聴こえて、ブブ、ブブ、と鼻を鳴らして平べったいおでこを擦り付けてくる愛犬を撫でたい。脇腹をサワサワしながら匂いを嗅ぎたい。
愛しいあの子。

 

二年前の今日は桜が満開だった。今年は少し早かったのかもう新緑の枝の方が多い。
寂しいな。会いたいな。大好きなあの子に。

 


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