二児と美容師と小説と私

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子育て中に出会う7人の敵とそれぞれの育児書で戦う話

先日Twitterで、目を離した隙に見ず知らずの老人が乳幼児の我が子に何かを食べさせて吐き戻したというツイートが回ってきた。
あるある。わかる。怖いよね。そして思い出した。

息子が生後5~6ヶ月で、10倍粥をチビリチビリと舐めるように食べさせていた離乳食の初期も初期の頃、実母が会いに来た。
テーブルで、息子と母と私の三人で(娘は幼稚園に行っていた)お茶を飲み、母が持ってきたケーキを二人で食べていた。私がキッチンに何かを取りに行って戻ると、今まさに母が息子にケーキを食べさせようとしているところだった。息子は口を開け嬉しそうに手をバタバタしており、歯周病持ちの母が使ったフォークに乗せたモンブランの欠片がもう少しで息子の口に入るところだった。「何してんの!やめてや!」私は怒鳴ってやめさせた。「いいやんちょっとくらい。神経質やなぁ」と母は能天気に言った。
歯も生えていない口に、食べたこともない固形物を、虫歯菌たっぷりの母が使用した尖ったフォークで食べさせようとしたことが、なぜ駄目なのか説明したけど無駄だった。「私が噛み砕いてぐちゃぐちゃにしたものをあんたがこれくらいの赤ちゃんの頃には食べさせた」などと言うのである。

 

『男は敷居を跨げば7人の敵がいる』ということわざがあるが、子育てをしている親にも七人の敵がいると私は思う。七人どころじゃないかもしれない。しかも私の場合敷居を跨がなくても部屋の中にもいたのだ。

件のツイートにあった勝手にお菓子をあげようとした老人も、私の実母も、悪意はないだろう。腹を壊してやろう、アレルギーを起こさせてやろうなんてこれっぽっちも思っていない。母らにしてみれば完全な善意なのだ。アレルギーで死ぬかもしれない可能性など考えない。目の前に子がいて美味しいものがある。食べさせたい。それだけのこと。

子育てを経験した年配の人に余計なことをされることはしばしばある。
人見知りが激しかった娘が二歳くらいのとき、二人でスーパーに行った。小さな子供用のかごを持つ娘のところに、突然体格の良い老婆が近づいてきて「手伝ってんの?えらいねぇ」と言った。ヤバイ、と私は思った。私の心配した通り娘は老婆に「キライ!」と言った。そしてプイとそっぽを向いた。すると老婆が逆ギレし、「いやぁー、そんなこと言うん!?そんなんやったら幼稚園行かれへんで!」と娘に怒鳴るように言い、そして私に視線を移し「あいさつくらい教えとかな、後で困るでお母さん」と脅してきた。「すみません」ととっさに謝りその場を後にしたけれど、しばらくしてからムカムカしてきた。うるせークソババァ!貴様が喋りかけるからだろうが!キライなもんはキライなんじゃドアホ!!しかし荒ぶっても後の祭り。娘は今まで以上に他人を怖がるようになり、私はしばらくそのスーパーに行くのも嫌になった。

実母や義母、小児科や耳鼻科の先生や園の先生、あるいは見ず知らずのスーパーで出会った老婆が、それぞれの経験と知識を元に作成した自分だけの育児書を振りかざしてくる。
ババア(時にはジジイ)らの育児書は分厚くて古い。私の育児書は新しくペラペラで薄い。
太刀打ちできずに負かされることもある。何が正解かなんて子供が100人いたら100通りの答えがあるのに、ババアらは自分の育児書が一番正しいと信じこんでいるからタチが悪い。
例えば抱きぐせ。昔は抱きぐせがついてしまうから、ずっと抱っこしているのは良くないとされていた。しかし今は抱きぐせは根拠がなく、むしろ抱けるだけ抱いてやる方が赤ちゃんのために良いとされている。どの本を見てもそう書いてあるし産院でもそのように教えられる。それなのに、である。「そんなに抱いてたら抱きぐせがつくんちゃう」と言うのである。ババアらは。今の育児書には抱けるだけ抱けと書いてある、産院でも言われたと説明しても「でも私の時代は……」と言い出す。もう無視だ。そんなのアドバイスでもなんでもない。ただの意地悪である。いくらババアらの育児書が分厚く年季が入っているとしても、自分が自分の子供のためだけに綴る心の育児書には自信を持ったほうがいい。もちろん耳を傾けるべきアドバイスも時にはあるかもしれないが、育てるのは自分自身であり所詮他人は傍観者なのだ。


でも世間はそんなババアばかりではない。
まさにその娘の人見知りが激しい時期に、マンションの清掃のおばさんが新しくなった。初めてあいさつした時、仏頂面の娘を紹介すると娘は例のごとくボソッと「キライ」と言う。「今人見知りが激しくて、誰に会ってもこんな感じなんです。すみません」と私が言うとおばさんが「あらいいやないの、用心深くて。人見知りする子は将来頭良くなるんよ。キライでいいやんね、でもおばちゃんはスキよ」と言ったのだ。泣けた。いや実際泣いたかもしれない。
それからも仏頂面を崩さない娘におばさんは毎朝明るくあいさつしてくれた。娘が返事してもしなくても、「今日の髪止め可愛いねぇ」とか「どっか行くの?えらいおしゃれして」と話しかけてくれた。本当に娘を可愛いと思ってくれていることが伝わったからか、娘はおばさんに心を開き、聞かれてもいないのに色々なことをペラペラと話すようになった。そしてその頃には娘の人見知りは治り、あいさつを自分からするようになり、初対面の人に「キライ!」と言うことはもうなかった。おばさんが退職されるときはお互いにプレゼントを渡し合うまでに親しくなった。おばさんには本当に感謝している。

 

私はまだまだ子育ての真っ最中である。
ペラペラだった私の育児書も、少しはページも増えてきた。
娘が会う人会う人に「キライ」と言うことがしんどくて出掛けるのが嫌になった時期もあったし、「キライって娘ちゃんが誰かに言う度に、ママも娘ちゃんのことキライになるよ」と叱って泣かせたことは何度もある。あんなに悩んでいたことも過ぎればほんの一瞬の出来事だった。
少しずつ子供も私も成長し、私の中の育児書が分厚くなったとき、どうせなら若いお母さんを困らせるのではなく助けることに役立てたい。
私が私のために綴る世界にひとつだけの育児書は、誰かを倒すためにあるのではない。

 

そういえば娘が生まれてから書き始めたガチの育児日記があった。(最近はもう書いていない)
そこにスーパーで出会ったクソババアのことが書かれてないかなと久しぶりに読み返した。
クソババアのことは書いてなかった。娘と二人でベランダになびく洗濯物を見て幸せを噛み締めていた頃を思い出した。
とりあえずここまでよく頑張ったなぁとちょっと自分を褒めたくなる。

 

〈一人目の子(娘)生後5ヶ月のある日の育児日記〉
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