二児と美容師と小説と私

そんなことより私の小説読んでください

初めて書いた小説の話

 

 

ことわざの本ばかり読んでいた。子供の頃の話である。

家に″四コマ漫画で読むことわざ辞典″みたいな本(正確なタイトルは忘れた)が上下巻あり、その二冊を愛読書としていた小学生の私は友達に「ふたばちゃん、ことわざばっかり使うなぁ」と失笑されて初めて、自分が無意識に会話のなかにことわざをぶち込んでいることに気付いた。
「そんなん『ミイラ取りがミイラになる』みたいやん」
「『石の上にも3年』ってゆうしなぁ」
「いやいや、『背に腹は変えられぬ』ってゆうやん、そこはしゃあないんちゃう」といった具合である。私の小説好きの元を辿ると、そこには物語ではなくことわざがあった。
私の小説の起源である。

小学五年生のとき、体育館の裏で骨を見つけた。恐らく仔猫かイタチかネズミの死骸だろう。
その事で友達と随分興奮した。
「殺人事件かもしらへん」「警察に知らせたほうがええんちゃう」「先生には?」「ちょっと待って、これはうちらの秘密にしとけへん?」
で結局どうなったかは記憶から剥がれ落ちてしまったが、そのあとすぐに私は家にあったワープロで物語を書こうと思った。
タイトルは『セーラー探偵団』。
小学生の女の子四人組が体育館の裏で骨を見つけ、そこから事件に巻き込まれていく……というような内容。
しかしはじめの一ページを書いただけで終わった。完結しなかった。
そのあと多感な思春期には詩をアホみたいにいっぱい書いた。
大好きな詩人の銀色夏生さんが、デビューのきっかけは出版社に100編の詩を送ったことだったと知り私も100編の詩を出版社に送りつけた。80万で本にしてやると返答が来た。
未成年の私に出せるのはせいぜい8千円だった。諦めた。
美容師になってからは忙しくて物語は書かなかった。その代わり仕事のマニュアルや新人教育のスケジュールやヘアセット講習会用のパンフレットなどを作成していた。
二十代後半に体を壊して仕事をセーブした。その頃またノートに手書きで小説を書きなぐるようになる。けれどどれも完結しなかった。こんな話を書きたい。とプロットを立てても思ったように物語が進まない。ただの箇条書きになる。集中が切れてどうでもよくなってやめる。そんなことを繰り返した。
そして私が生まれて初めて小説を完成させたのが『語らずとも』である。

漫才師を父に持つ娘のお話

FC2小説『語らずとも』

 

自転車に乗るのと同じで、一度物語を完結させることが出来ると、今までなんで完結出来なかったんだろうと不思議に思えるくらい次々に小説を完結させた。長い小説を書き新人文学賞に次々に送ってみた(全部全然ダメだったけど)。
首と腰の故障を治療しながらだましだまし美容師を続けていたが30歳で完全に心が折れた。しかし中卒である。簡単に美容師以外に再就職は出来ない。そこでPCの職業訓練を受けた。某通信器機のサポートセンター受信業務に就くことができた。美容師とは違い夜は早く家に帰れる。暇だった。
そんな時、捨てるような気持ちで小説をFC2小説に載せた。新人文学賞にはなに一つ引っ掛からない。こんなもの書いててなんの意味があるんだろう。誰にも読まれずゴミになるよりネットに捨てたほうがマシ。そんな気持ちで投稿した。長い小説は自分で読み返すのも嫌になるくらいくだらなかった。載せるのも手間がかかる。短い短編をいくつか投稿して、投稿したこともしばらく忘れていた。そして久しぶりに見ると、評価がついていた。感想ももらえていた。嬉しかった。他の人の作品にも感想を書きFC2小説ユーザーと交流を深めた。仲間ができたようで楽しかった。

それから専業主婦だった私は仕事を再開することになり生活が激変した。
前回の記事 でも書いたように結果的に4年間ネットから離れることになる。望んでいない復職、べらぼうな保育費がかかる認可外保育から認可保育園に入れられるまで三度の転園、理解のない上司からの嫌味で胃潰瘍を発症、キツかった。SNSで誰かとコミュニケーションを図ろうという余裕がなかったのだ。

 

そして私は去年(2017)の正月休みにTwitterを再開した。あーなんか誰かが好き勝手に書いた文章が読みたいなぁ~……そうだ!Twitter!みたいな感じで。
楓双葉というアカウントを4年も放置していたのに「あけましておめでとう(4年ぶり)」と呟いたら数人がリアクションしてくれた。お陰で私は自然と楓双葉である自分を取り戻したのである。
秋には4年ぶりに書いた小説 『らぶりつください』をnoteとカクヨムに投稿した。

もういなくなってしまったが沢山フォロワーがいらっしゃる方をはじめフォロワーの方々に褒めて拡散して頂けたお陰で良い反応を沢山もらえた。嬉しかった。

小説を書くのはやっぱり楽しい。
もう何か目標を立てなければ書く意味が無いなどと難しく考えることも無くなった。
書いている間はグッと集中して物語にのめり込む。主人公に感情移入し過ぎて泣きながら書くこともある。エロい場面を書くときはハァハァする。イッてるしキてる。そしていったん離れて心を落ち着けてから推敲する。完結したときの気持ち良さは何にも変えがたい。とにかくすっきりするのだ。これはもう変態行為である。

金にならないことは全てゴミだと思っていた時期が何年もあった。
その考え方のせいでお客さんを傷つけたこともある。
ババアになった今思うのは、人生を豊かにするのは金にならないことばかりだ。
好きだからやる。好きだから書く。その延長線上でもしかしたら金になることもあるのかもしれない。でも今私が小説を書くのは人生を豊かにするため。
体育館の裏で骨を見つけ、そこから何か物語が始まりそうだと感じた子供の頃の私が物語を書きたいと思ったような純粋さで今私は小説を書いている。
できればひと月に一作、無理だったらふた月に一作くらいのゆるい締め切りを自分で勝手に設けた。ネット(横書きスクロール)で読んでくれる人のために書いているので字下げはしない。集中力が途切れない文字数に納める。紙の小説に憧れて、紙の小説になること前提で書かれた小説よりは読みやすいはずだ。そこだけは自信がある。10年書いていても相変わらず拙い文章ではあるが、TwitterのTLの流れが滞っている時や、クソリプをくらって嫌気がさしている時、あるいは「あー、誰かの書いた文章を、ちょっとだけ読みたいなー(鼻ほじほじ)」と思った時にどうでしょう。楓双葉の小説を、読んでみるってのは。チラ

 

 

楓双葉の小説はこちらで読めます

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